めっきの歴史

善本隆美氏の紹介
氏はめっき関連業界(東京)から引退後、故郷の山口県岩国市に戻られ、現在は晴耕雨読の日々を送られている。
その中にあって、東京時代から気にしておられためっきの歴史についてまとめられ、1999年2月、「めっきあれこれ」と題して上梓された。

膨大な資料に基づいて書かれているので、氏のご了解を得て当社で勝手に抜粋させていただいた。
また、JIS第二水準にない文字、漢文の返り点等は表現できないので近い漢字または□で表現した。
氏からの引用は青い文字で表現した

最古のめっき品 藤ノ木古墳からの出土品
金銅とは
6世紀後半
アマルガム法によるめっき 装剣奇賞 1781年
電気めっき法の伝播 遠西奇器述
西洋百工新書
1854年
1872年

右欄の年代は出土品の作られた推定年代、書物の成された年代である。

アマルガム法とは
金は水銀に溶かすことが出来る。これを金アマルガムと言う。これをめっきしたいものに塗り、熱をかけると水銀が蒸発して金だけが残る。この方法で金をつける方法を言う。
この方法は水銀蒸気が出るので人体に非常に有害なので、現在は用いられることはない。

電気めっき法とは
直流電流を使ってめっきする方法。現在行われているめっきの大半はこの方法によっている
近年は無電解めっき法という電気を使わないめっき法も進歩している

最古のめっき品

藤ノ木古墳からの出土品

蘇った古代の輝き−−藤ノ木古墳−−

平成元年(1989)3月.奈良県生駒郡斑鳩町の「藤ノ木古墳」石棺内に納められ
ていた副葬品のうち.さび落としや保存処理の済んだ冠、履(くつ)などが公開
された。復元されたのは冠、履のほかに筒形金銅製品.首飾り.耳環などの装身
具で、筒形製品の片側には金めっきが現れ、冠は10個ほどの破片をつないで復元、
三種類の首飾りの空(うつろ)玉なども見事な金色の輝きを取り戻した。千四百
年ぷりに、古代のめっき(金銅)製品が地中の永い眠りから醒め、美しく輝く光芒
を放ったのである。このほかにも、金銅製円形金具、金銅製歩揺、金銅製透彫
鞍金具(前・後輪)、金銅製棘葉形杏葉.金銅製歩揺付辻金具などが出土してい
る.
藤ノ木古墳は6世紀後半のものと推定されているが、出土した冠や沓は中国、
朝鮮などからの舶来品ではなく、独自の創作を加えた“国産品”の可能性が強い
と判定されている.藤ノ木古墳から金銅装と鉄地金銅張製の精巧な馬具が発見さ
れたのは、昭和61年(1986)で、第1次・61年7月〜12月、第2次・63年5月〜7
月、第3次・63年9月〜12月の調査が奈良県立橿原考古学研究所によって進めら
れ、その全容が明らかにされた。石棺内から発見された副葬品の数々は、古代史
研究上の貴重な資料であり、社会的にも大きな話題を提供、公表された当時の新聞
雑誌には“金メツキ”“金銅製品”の文字が各所に躍った。金銅製品はいず
れも純度100%に近い厚さ約0.3ミリの銅板を使用しており、金めっきの厚さは0.002
〜0.003ミリ(2〜3ミクロン)と測定された.


金銅とは

”金銅”
“金銅”は銅に金めっきしたもの。金銅仏像では、東大寺金堂のるしゃな仏像(
奈良の大仏・国宝)がよく知られているが、このほかにも法陸寺金堂の釈迦三
尊像(国宝)、薬師寺金堂の薬師三尊像(国宝)、飛鳥寺の本尊釈迦如来坐像
(重要文化財)が有名である。また、東京国立博物館に所蔵されている四十八
体仏(重又)、観音像(重文)、菩薩像(重文)、大阪・野中寺の弥勤菩薩像
(重文)、島根・鰐淵寺の観音像(重文)などの仏像のほか、東京国立博物館
・金銅灌頂幟幡(国宝)、奈良,西大寺の舎利塔(国宝)、京都・東寺の金銅密
教法具(国宝)、奈良,興福寺の仏頭(国宝)、滋賀・神照寺の華籠(国宝〉、
文化庁・金銅宝塔形経筒(重文)、長野・岩殿寺の金銅三所権現懸仏(重文)、
大阪・金剛寺の金銅装戒体箱(重文)、京都・要法寺の金銅蓮華唐草文透彫経
箱(重文)など数々の金銅製美術品が遺されている。
わが国の古文書で“金銅”の文字が初めて見えるのは「日本書紀」で、その
十九・欽明天皇の項に次の記述がある。
十三年冬十月、百済聖明王...遣.西部姫氏、達卒怒口利斯致契等.、献.釈迦佛
金銅像一躯、幡蓋若干、経論若干巻.、別表讃.流通礼拝功徳.
また「扶桑略記」三・欽明天皇の項には次の記述がある。
十三年十月十三日辛酉一云、同年壬申十月、百済明王献.阿弥陀仏像.(略)
長者面見.一佛二菩薩.忽以.金銅.所.奉.鋳写.之佛菩薩像也、
欽明天皇の十三年は西暦552年(日本書紀)とも538年(上宮聖徳法王
帝説)ともいわれる。いすれにしてもこのとき、わが国に初めて仏教が渡来し
た。
‘‘金銅”の用語は、古くから中国で使われていたようで、法苑珠林第十三に
「西晋永嘉年中(編注,303〜313)沙門僧朗あり、泰山金輿谷朗公寺に
住するに、諸国競うて金銅像を送る」とある。【『望月仏教大辞典』】



アマルガム法によるめっき


装剣奇賞

『装剣奇賞』二巻は、稲葉通龍の著で、天明元(1781)年の序があり、刀剣の目貫、
小刀柄、笄等の彫物を鑑賞することを主に記したものである。その「彫家傳方」
に鍍金方について次のように記述されている。

鍍金方
先ッ地がねをよくよく磨き、梅錯にてはぜさせ、砥粉に水銀を合せ摩付、其上
へ金、又は銀箔にても、好む所を置、扨火にて焙、其色調ふ時、又砥粉、水銀
をすり付、箔を置てあぶり、如此する事二三遍して後、砥粉ばかりにてよく
よく磨き仕上る也、
又方
先アク汁にて、地がねをよく煮て、其上を枝炭にてみがき、金剛砂を以て、簓(ささら)
にて能々みがき、梅錯に灰を入れ汁ばらひして、金の粉を水銀にてよく合せて是
を右の地がねにすり付あぶる也、二度めには金の色出る、それを水に入て、針
の胴をよこにしてみがき、其上を櫛拂に灰を付、又々みがき、扨緑青にて煮此
上を色上をする也、

鍍金色上薬方
白焔消 緑礬 焼塩 各等分細末

右三味、天目の類に盛、水にてすり合せ、紙を覆ひ三日所置て用ふ、用法は色
上んとおもふ所へ、此薬を付て焙る也、少し熱くなりし時、水にてあらふべし、

鍍金古様方
新物を古様に見せんとおもふには、彫立たる地の所へ墨をぬり、其上に油を引
く、但し色絵につかぬ様にして、色絵のある所へは、フノリにて砥粉を練合、筆
にてぬり、杉葉にて幾回もふすベ、絹□にてふき、きめきめへ墨を人れ、□引
して、上を眞薦を□に包み、其上を打べし、即古様となるなり

「古事類苑」所収


気めっき法の伝播

日本における電気めっき技術の初出
−−遠西奇器述−−

安政元(1854)年、裕軒川本幸民訳述・三岡友蔵博厚編集の「遠西奇器述」が刊行
された。江戸時代末期に出版された、西欧の科学技術機器を具体的に解説した書物
である。著者川本幸民がオランダ人ファン・デル・ベルグP.van del Burgの1852
年刊行の著書に基づき鹿児島藩で行なった講義の余話を集録し、薩摩府蔵版として
刊行されたものである。第二輯は同様に幸民の説話を集録したもので、同六年刊行。
それぞれの内容は、直写影鏡・伝信機・蒸気機・蒸気船・蒸気車および電気模像器
電気鍍金方・写真器・燐□・気球・汽車・石炭坑内用の免難燈付換気方である。
幸民は島津斉彬により鹿児島藩に招かれ洋学とくに理化学を講じたが、写真・伝
信・造船などは同藩の集成館で実地に試みられている。幸民(1810〜71)は江戸時代
の蘭学者で、摂津国(兵庫県)三田(さんだ)藩医川本周安の三男として生れ、裕軒と
号した。雑司が谷墓地に葬られている。『大森実・国史大辞典』

電気鍍金方(全文)
電気ヲ以テ。金銀ヲ銅鉄二鍍スル二。数方アリト雖。其機原八皆相同シテ。金銀塩
ノ溶液二電気ヲ通スレバ。其金銀。電気ノ出ツル物体二固着スル者ナリ。コレヲ行
フニハ。先ッ其鍍セムト欲スル者ヲ浄潔ニスベシ。其方。稀硫酸若八稀消酸ヲ以テ。
此物ヲ浸シ。上面ノ汚穢ヲ去り。取り出ダシ。蒸留水ニテ洗フベシ。○鍍金液ヲ製
スルニハ。尋常ノ銅ヲ含メル黄金ヲ消酸二テ煎シ。其液巳二青色ヲ為サザル二至リ
テ。コレヲ洗浄シ。其後コレヲ消塩酸二溶カシ。煮乾シテコレヲ秤定シ。此塩一分
二、血羅屈塩十二分。食塩十二分。水百分ヲ加フレパ。ココヨリ青澱ヲ生ス。ココ
二於テ全量ヲ煮テ。其液ヲ濾遇シ。以テ其澱ヲ収ム。
鍍法二寒温ノニアリ。温鍍方ヲ行フニハ。亜鉛製二非ザル者ヲ取り。亜鉛版ト連結
セル亜鉛條二繋ギテ。溶液中二掛ケ。二金相連ナル処二至ルマデ。此溶液中二沈メ。
コレヲ煮レパ則黄金速二沈降シテ。コレ二固著ス。
寒鍍方ノ電気模像機ト異ナルハ。銅塩溶液二代フルニ黄金塩ヲ以テスルノミニシテ。
通常四個ノ□□桶ヨリ発起スル電気ヲ用フ。此各桶内二一銅巻版ト。一鬆土壷ト。
一亜鉛巻筒ヲ納メ。銅ヲ浸スニ丹礬溶液ヲ以テシ。亜鉛ヲ浸スニ稀硫酸ヲ以テシ。
其亜鉛ヲコレ二近接セル桶内ノ銅ト結ピ。各桶皆此ノ如クシ。最外ノ亜鉛二鍍スベ
キ者ヲ著ケ。最外ノ銅二白金葉或八黄金葉ヲ著ケ。此両金ヲ黄金溶液二沈ムレパ。
−−−−−−−云々


西洋百工新書


宮崎柳條著『西洋百工新書』は前篇1冊、後篇1冊、外篇3冊の5冊から成って
おり、そのほかに附録2冊がある。前・後篇は明治5(1872)年に、外篇は明治6年
に、附録は『百科工業新書(百工新書附録)』として明治13年にそれぞれ出版され
た。海外の新知識を分かり易く解説して、産業技術の発展を促そうと意図したもの
であり、柳條は外篇の序例で次のように述べている。
「(前略)深く格物の学を好み、造化の眞理に通ぜんことを欲(ねが)ふ。而して此
の科に入るは、先ず物産学を研究せざれば其堂に昇ること能はず。依て山物、動、
植、器械、地図の類、天工人造に拘らず、獲るに任せ観に随て親く手写し、漸次に
櫃に満つ。(中略)夫れ理化二学は衆芸百工の原にして、(中略)其読易く解し易
きの書を著して常人の意志を有用の学術に達することを得せしめば、亦俗間に裨益
あるべし。(後路)」
巻之一には、鍍金に関係して次の諸法を簡単に記述してある。
四 厄利斉亜鍍金(ぎりしゃ)の法
五 鍍金の金を剥落す法:
十一 象牙に鍍銀(ぎんめっき)をする法;
三十二 鉄器へ鍍金する法;
三十六 擦鍍々金(すりつけめっき)の法:
外編巻之一には「電気鍍金ノ方」が、外編巻之二には「鍍金法」がそれぞれ記述
されている。